おやしらず。

親しらず(上の奥)を抜きました。初めて抜歯したのでドキがムネムネでした。歯ブラシがほとんど届かない為虫歯になりかけている、なおかつ、まったく下の歯とも噛み合っていない、つまり咀嚼の際になんの役目も果たしていないただ生えているだけの存在だ、ということでしたので、「まるでおれの存在そのものじゃないか、って、だれが独活の大木やて!?だれが木偶の坊やて!?怒るでしかし!」てなりました。周りの人々の抜歯経験談から想像だけが膨らんで、こころがしんでいることで有名なこのミキコフがマリッジブルーならぬデンタルブルーになりながら、先生に口腔内を委ねたのですが、麻酔の時間の方が長かったぐらい1秒足らずで抜けました。思わず「は、早い…!」と言ってしまったぐらい早業でした。「抜いた歯、どうされますか?」と聞かれたので、「歯を持って帰る人とかいるんだなぁ。そうだよなぁ、自分の一部だもんね。」と勉強になりました。「処分して下さい。」と言いました。さようならわたしの歯、ありがとうわたしの歯。若干の違和感は残るものの、大きな痛み等はなく、ドキムネが過ぎて肩が凝った程度で、翌日は普通にOLさんたちとランチしました。親しらず抜いたんでち、と報告したところ、「え!なんでそんなにポーカーフェイスなの!?痛くないの!?」と驚かれました。驚いて下さい、痛くないのです。わたしは何も痛くないのですから。

「ロイヤルストレートフラッシュバック」(SPACE雑遊)

おしゃれなものはおおむね退屈だ、という偏見をもっていることで有名なミキコフですが、これはいい方のおしゃれなので観に行きました。それにしたっておしゃれな舞台セットでした。菱形にセットが組まれて赤と白の扉が右左にあり、いいかんじの照明に、音楽だって流行りのポップなやつとか流さない。幕間の暗転中に次のコントの衣装着替えをし、OPとEDはギースの人々が舞台の真ん中に座ってiphoneから壁に映像を映すという、おしゃれどこまで、いったい、どこまで!というおしゃれさでした。「おじさんたちの着替えを見せてすみませんでした。」とゆっていましたが、おぜきさんが「でも、たかさはかわいいから大丈夫だよー。おれはやばいよ〜。」とゆってたかささんをひかせるなどしていたので、「これもシュールの一環なのだろうか。」てなりました。シュールむずかしいです。DVD化しないそうなので、記憶を文字化します。
・合格
ヘッドハンティングする人とされる人。される人の言動を逐一「合格だよ!」と言う鬱陶しい人面白のやつです。途中で、「不合格!」と言っていましたが、何が不合格だったかは忘れました。されたことは良い事も悪い事もしっかり覚えていますが、こういうことはすぐ忘れます。
・劇的ビフォーアフター
シュールすぎて意味の分からない銀行強盗コントをやった後、同じ設定でわかりやすくまろやかな内容のアフターをやるという、シュールをいじった自虐的なコントでした。ビフォーではぎょぎょ!とか、天皇陛下ばんざいとかゆっていました。DVD化できないのはこのせいでしょうか。
・7時の悪口
いや、それともこれのせいでDVD化できないのでしょうか。いろんなひとや土地の悪口を言うだけのニュース番組。個人名などをあげていじったりしていたのでハラハラしましたが、たかささんのウィッグのかぶり方がだいぶ適当だったので終始ズラばかり見ていました。
・精神と時のカラオケ
外の世界とカラオケボックス内の時の流れが違うので、短い曲を歌わなければならないのに前奏だけで何分も費やしてうおー!となっていまいた。ふたりでデュエットしたり、ドタバタして楽しそうだったのでおだやかな気持ちになりました。仲良きことは美しきかな。戦争反対。
・飛行機トラブル
むしろこれのせいでDVD化できないのでしょうか。エンジントラブルでしぬかもしれないという事態に直面し、やぶれかぶれになったエリート役員ができる女子社員にセクハラしていました。おぜきさんがブリーフでわ〜いとなっていましたし、女子社員の色気がとんでもなかったので、たかささんの可能性にうっとりしました。ただただうっとりしました。あんなすてきな女装を他に知りませんが、やはりウィッグは適当でした。
・カルチャースクール
着眼点に脱帽な、起承転結が見事にきまった、かつ、人々のいいところが詰め込まれたコントでした。オチで客席が感嘆の溜息であふれたので高揚しました。おぜきさんの怪しい講師が面白すぎましたし、たかささんの特技が満載なうえにオカリナも上手だということを知りました。「宗次郎。」で笑いました。なつかしいことにはすぐ笑います。
・or
ビーフorフィッシュから始まり、いろいろなorをたかささんが選んでいくコントでした。「ゴッドタンの出演権」がかなり強力だということが分かりました。
・爆笑行きバス
恒例の一発ギャグですべるやつです。これでもかとすべりたおしていました。すべりに積極的でした。壊れていました。
早稲田大学
進路指導のコント。早稲田大学に行きたいという生徒に、先生が早稲田への道順を教えていました。とんでもない無駄な道順でした。むやみに乗り換える方法ばかりレクチャーするし、生徒も「そっか〜!そうやって行くんですね〜!」とゆっていました。誰もツッコまない、バカ先生とバカ生徒でした。
・童貞
混じりっけなしのまっすぐな下ネタでした。初体験した男の家に、巨体にピチピチでつんつるてんの学ランを着た捨てたはずの童貞がやってきて、なんかすごく偏った童貞クイズをやり始めるという、酷おもしろいやつだったのでアハハウフフしました。なんで童貞を具現化しようと思ったのかわかりませんが、童貞の役はおぜきさんにしかできないんじゃないかというぐらい童貞していました。オチの時の立ち位置がすごく良かったです。以上です。

「パプーシャの黒い瞳」

美容室で出されたファッション誌の占いページをすっとばして読んでいたら、美容師さんに「占い、興味ないんですね(笑)」と言われるスピリチュアル要素ゼロカロリーのミキコフですが、生まれた時に拝み屋のばばあに「縁起悪い名前だ。波乱が起きる。」と言われたら本当に波乱万丈になった映画をみてきました。主人公は、世界初の女性ジプシーの詩人、パプーシャというひとでした。世界初の女の人というのはだいたいどの時代でも大変と決まっているので、パプーシャも人生が大変でした。ジプシーの人々は、自由を謳歌する代わりに、スピリチュアルとコミューン内の戒律でバランスをとって生きていましたが、戦争中はジェノサイドの対象になり、終戦後には国から定住・定職を課せられジプシーではなくなりました。しかし、暮らしはジプシーできなくなっても、こころはジプシーなのでみんな頭が忙しくなって、怒ったり、家を壊したり、だいたい誰かがうおー!と叫んでいました。パプーシャも、わたしが読み書きを覚えたせいでみんなが不幸になった、呪いだ!となってうおー!になっていました。パプーシャが喧騒を逃れ一人でタバコを吸うシーンや、彼女の詩を世の中に紹介した詩人とパプーシャの最後の別れのシーンはまったく抒情的で特に素晴らしかったです。言葉に呪われた人のてんやわんやを全編モノクロの静かな映像でお送りしてくるので、映画館行くとだいたい寝ちゃうよ、という人は観なくても大丈夫です。時代が行ったり来たりしながら展開し、一つ一つの場面が結構大事なので、所々寝ちゃうと面白くないタイプのやつだと思います。

マグリット展に行った。

マグリット展に行きました。マグリットは人気者なので混んでいるかもしれないと思いながら現地に到着しましたが、この日の朝は雨降りで、気温も低めだったせいか混雑しておらず、快適に鑑賞することができました。マグリットは模索していました。時代ごとに、ああでもないこうでもないと自分らしさを頑張っていました。戦時中は、無表情の女性が鳥さんをわしづかみでむしゃむしゃしているような、攻撃的な画風になるなどしていましたが、全体的に言えるのは、「シュッとしている。」ということでした。マグリット自身、いつもきちんとスーツを着用し、時間も守り、幼馴染の奥さんと普通のアパートで静かに生活をしていたそうなので、そういうところが出ておるのかなと思いました。光の帝国や、薔薇から煙みたいなのが出ているのとかスタイリッシュすてきのやつがたくさん鑑賞できたのでよかったです。グッズの販売もしていましたが、「これはパイプではない」の缶入りクッキーや、マグカップ、缶バッチなど、かわいいのがたくさんあるので、そういうのが好きなひとは行ったらいいと思います。アートした後は、職場の素敵OLさんから教えてもらったイタリアンのお店に行きました。ピザがおいしいと聞いていたのでピザしました。出てきたピザはピザではなく、ピッツァでした。ピッツァは高かったし、たいへん美味しかったです。「素敵女子たちはこんないいものを食べているのか、なるほど分かりました。」てなりました。ピッツァとともにオーダーしたおしゃれた炭酸水は、炭酸水苦手のわたくしでも美味しくいただける超微炭酸のええ水でした。店の外を眺めていると、犬を散歩させておる人々がたくさんおりましたが、わたくしの居住地では見ることのないお犬様たちがいばって町を闊歩していました。「自分よりいいお家に住んで、いいものを食べているに違いない。なるほどわかりました。」てなりました。いろいろなるほどした一日でした。

イアフォン。

今まで使用していた5代目のイアフォンくんが身罷られました。イアフォンたちはすぐに逝ってしまう。主に帰宅・通勤電車の乗降で。わたくしも女ですが、世の女の被服や持ち物には、不自然な場所に役には立たないけど何故かついているボタンや、しゃれた焼き菓子のような突起がついていることが多くあります。このおしゃれたちこそがイアフォンの天敵なのでした。わたくしがもっと注意深くイアフォンを扱っていれば、彼らの攻撃をかわせたものを、気を抜いた一瞬の間にそれらとイアフォンは想像を超えた幾何学的な文様を織りなすのです。おしゃれた突起や巨大なボタンにか細いイアフォンが敵うはずもなく、接続部から内臓がニョと伸びるなどして、それは見るも無残な、悲劇的な最期を。5代目も同じでした。何度呼びかけてもそれがテクノでポコチャカしたりアンビエントでドゥワ〜ンしてくれることは二度とありませんでした。己の無力さと、彼への懺悔の気持ちでわたくしは慟哭しました。止めどなく流れる涙をぬぐいながら走り出しました。「もうイアフォンなんて!イアフォンなんて買うもんですか!」
数日後、わたしはビッグなカメラ、ビッグカメラにいました。店員さんに積極的に質問したり、「どっちの色がいいかな〜。」と迷った挙句、ちょっと頑張って超カッケー倍以上の値段のイアフォンを買いました。倍以上の値段だからなのか、無駄なデカさの無駄にカッケー箱に入っていました。自宅に帰り、早速いつも通りの感覚で6代目を装着、再生ボタンを押しました。聴いたことない繊細な音と響きが脳内に飛び込んできたので「はすッ!」となり、慌てて音量を下げました。「はー、こげな音聴いたことなか!耳がちぎれるばい!」危うく逆切れするとこでした。音響機器を侮っていました。名前をアナコフにしてもいいぐらい侮っていました。すみませんでした。翌日、わたしは6代目を装着し、蝶結びした5代目くんを丁重に資源ゴミしました。「いままでありがとう、そしてさよなら。」イアフォンのニョとなった所がキラリと光った、そんな気がした早春の朝。

「すいているのに相席3」「すいているのに相席3.21」

くさくて愛しい町新宿で、バ吾Aさんのユニットコントを観ました。バ吾Aさんは「おいしゅうございます、岸朝子です!」と叫ぶおもしろの人なのですが、そのおもしろの人とせきしろさん、上田さんの3人がそれぞれ数本ずつ書いたコントを、シュールの人々でやるよというやつです。そしてわたくしは3を観たのに、3.21も観に行きました。もう少し冷静になった方がいいと思いました。しかし、3.21では、3のコントを厳選したうえで新しいコント数本がプラスされており、オープニングと幕間のVTRが違ってありましたので、「全く同じじゃなかったし。」という言い訳で自分の心を誤魔化すことが出来ました。ありがとうございます。
さて内容ですが、EZ DO DANCEを軽快に踊る男(Aさん)と女(やまわきさん)。いいステップでいいうどんができる、の発想もさることながら、Aさんのたいへん上手なダンスとその風貌のギャップに笑いました。セカオワと思しき男女が飲食店に来店するのコントは、世の中のセカオワに対する共通意思をおもしろがったやつでした。店内が混み合っており2人ずつに分かれてのご案内になりますと言われ「あたしたちはいつだって4人一緒なの!」「俺たちにしねっていうのかよ!」と大騒ぎしていました。ボケが人間、ツッコミが地球外生命体(光る球体)というSFな芸人の漫才、普通のアイドルの握手会かと思いきや、RPGゲームの世界だったなど、奇想天外な設定が盛りだくさんでした。ドリフの雷様オマージュは、風に飛ばされたパズーとシータが突然現れ、あの「バルス」のシーンを。Aさんのいかりや長介のハイクオリティさと、パズーとシータが超絶かわいかったのでかんどうしました。また、「やる気」というコントでは魔物を倒すための武器がマイクのシーンで、大島・野坂マイク事件を挟み込んできたので「出た!」となりました。マイクと言えば野坂、野坂と言えばマイクです。このような、「若い人々知らないだろうなぁ」が随所に観られ、歳をとることの楽しさを実感しました。また、恒例であるたかささんの耽美を具現化したあぶない一人芝居ですが、3ではイッコーさんの幻影を追って百合の花にうっとりする眼帯の少年であったものが、3.21では空高くジャンプして行ってしまった船木を追う学ランの少年に変わっていました。どっちにしろあぶないことには変わりありませんでした。アハハウフフしたり、うっとりするなどしてそれはあっという間に終わりました。
幕間のVTRについては、3ではおぜきさんが思ってた以上にお歌が上手だったのと、Aさんの替え歌の歌詞がひどすぎて笑いました。方や3.21は、デューク・エイセス的な「夏の思い出」をBGMに尾瀬の美しい風景をただただみせられるので笑いましたし、オープニングのビリー・ジョエラナイのオネスティ(替え歌)はたいへん美しいピアノの弾き語りでしたが、才能の無駄遣いが過ぎて面白かったです。才能の無駄遣いはかなしいから好きです。以上です。

カニ。

赤ん坊のころ、これは現実かな?と不安になるほどの驚異のブスさで父親にため息をつかせたことで有名なミキコフですが、幼稚園の年少組の時にお遊戯会で可愛い恰好でカニの子どもをやりました。白タイツにピンクの衣装を着用し、頭にはカニの絵を、両手にはカニの鋏を模した手袋のようなものを付け、同じ格好をしたおともだちたちと横歩きで「カニカニ。」と言いながら舞台に登場するのです。子を持つ親なら「あらかわいい。」とほほ笑ましくなる情景です。さらにわたくしは、タイツでつるんとすべり、舞台上でころんと尻もちをついたのです。観客たちはあははうふふと笑いました。そうです、これも「あらかわいい。」の情景です。その時の写真を大人になって見ました。そこにはオニかわいくない子どもがカニの恰好をさせられて無表情で立っていました。「すごいブスだな。こいつ。」そう思いながらアルバムをめくろうとしますと、横からおかはんが「かわいいじゃろ。」と言ってきたので、間髪入れずに「いや、どこが!」と答えました。おかはんは、数々のブス写真を見ながら「なんでよ。ほら、ようと見てんない。うちの娘が一番可愛いがね。こんげ可愛い子がおるかよ。」と言いました。とんでもないブスなのにかわいいかわいいと言って育てて下すってほんとうにありがていと思います。おかげさまで厚かましく、多少の事にも動じない、こころのつよいにんげんに成長しましたから、生きるのが楽ちんです。あと、成長したら可愛くはないけど言う程ブスじゃなくなったので、かわいいと言い続けたおかはんの念が通じたのかもしれません。カワイイは作れませんが、ブスは希釈できます。強い意思を持って言い続ければ願いは叶うというお話しでした。覚えておいてください。試験に出ます。