一年過ぎた。

おかはんが病気になったのはわたしに拠るところが大きいのではないかと思っていることで有名なミキコフですが、ほぼ毎日おかはんのことを思い出しています。しかし、おかはんが元気だった頃からほぼ毎日おかはんのことをふと思い出していました。ほぼ日おかはんです。おかはんならこんな時こう言うであろう、あんなことはしないであろうといった具合に、わたしの教典と言えましょうか。一年経って、一日に思い出す回数が少し減りましたから、なんかちょっとづつ確実に整理整頓されておるということです。自分のことは一番最後でおとんやわれわれ子らの事を一番に、さらには他人のことまで世話して、気前がよくいつも穏やかで、たいそうひょうきんな、見た目はこびとのようなちゃいちいおばさんで、関わったひとびとにとても好かれて、野良猫や野良犬、野鳩、はてはイタチまでもが懐いてしまうようなひとでしたから、あのひとは仏だったのかもしれません(にんげんです)。なんでも自分でやるし、誠に器用な出来すぎかあちゃんでしたが、子供の時からずっと、一個だけ気に入らないとこがありました。自分のために生きてほしいなぁと思っていました。あんたずっとひとのことばっかりしよると言ったら、「わたしがやりたいことばっかりしよったら家ん中どんげもならんなるじゃろ。」と言って笑っていたのを覚えています。どんげもならんなってもおれはおかはんのやりたいことをやって欲しいんじゃがねと言いたかったけど、やめました。そういうことをゆってもこのひとはそのようには生きない、という確信があったので。わたしは自分の事に関しては、あの時こうしていればとかそういう後ろ向きなことはほとんど考えませんが、おかはんについては別です。たくさん心配もかけたし、もっといろいろとあれであれだったなぁって後悔ばっかしています。術後の河を渡りかけたあの夜と、旅に出た日のことは一日一回、まあ几帳面に再生されます。脳は几帳面だなぁ、ごくろうさんですーてなります。ひとのことばっかりして、さいごはわたし一人しか側に居らんかったんだけど、少しはよかったなぁと思って逝ったんかしら。おかはんがやりたかった事、わたしはたくさん知っています。手のかかる夫と、ボンクラの娘と、イマイチ頼りない長男坊がおったことでどれもほとんど実現しなかったこともわかっています。つまり、なんかこう、わたしが言いたいのは、子供といういきものは、おかあさんにはおかあさんの為に生きてもらいたいなぁ、おかあさんが幸せなのが幸せだなぁって思ってるってことです。めしくってうんちしてねます。以上です。