「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」

odo-mikikov2014-01-20

先日、裁判を哲学して物議をかもしたご婦人の映画(「ハンナ・アーレント」)を観たのですが、そのご婦人が哲学した裁判の記録映画を観に行きました。被告人のアイヒマンは頑張って言い訳をしていましたが、全員が敵でしたから、言い訳は彼の口より発せらるる先から空中分解していました。起こった出来事の大きさに反比例して、痩せぎすで禿げ頭のアイヒマンはたいへん不気味でした。傍聴人が興奮して裁判が中断するの事態が度々起こったり、興奮した判事が審議の本題から横道に逸れるのを裁判官がたしなめるなど、世紀の裁判であったことがたいへんよくわかりまして面白かったです。先日、ある政府の人が小野田さんが日本に帰還した時、戦争が終わったのだと思ったとゆっていましたが、戦争が終わることなどあるものか、何をゆっているのだこの人は。こういう認識の人々が国を動かしているのか、と残念な気持ちになりました。戦争はドンパチが終わったから終わりではないのです。ナチスによってたくさん傷ついた人々や傷付けた人々が脈々と傷ついたままであることと同じように、日本でも戦争によって引き起こされた悲しみや弊害は癒されることは絶対にないのです。傷ついた人々がいまだに怒り続けるのは、それだけのことが戦争によって引き起こされたからです。理屈でも暴力でも人間の壊れた感情をどうこうするのは至難の業です。勢いも大事ですが、慎重さも併せ持って行動しなければと反省いたしました。ところで、アイヒマンスタンダードの人はどうしてアイヒマンと名乗ることにしたのであろうか、たぶん違うとおもいますがもしこのアイヒマンを知っていてアイヒマンを名乗ったのであればだいぶとがっている。日本がお戦争の出来る国になったら、こういうとがったオモシロが冗談にならなくなるんだなぁと思いました。アーレントを観る人は、あわせてこの映画を観た方がより面白く鑑賞できましょうから観たらよいとおもいます。