「タモリ論」「パンツの面目、ふんどしの沽券」

タモリ論 (新潮新書)

タモリ論 (新潮新書)

正月、田舎があまりに田舎然としすぎており、「このまま家におったら脳が壊死してしまう。」と母と鹿児島の知覧に行ってきました。特攻記念館で、飛行機で飛んで行って帰ってこなかった若者たちの膨大な数の手紙が展示されておりました。若者たちのそれは皆達筆で、本当を隠そうと頑張って嘘を書いていましたから、こころがかなしみでいっぱいになりました。遺書の展示ケースは上から見られるようになっているのですが、そのガラスには涙の乾いた跡が点々と残っていました。国を動かす人は見た目の筋肉をつけることより戦争を放棄した意味を考えたほうがいいとおもいますが、そういうひとはそういう思考回路にならないのでした。さて、その鹿児島から実家までの時間つぶしにタモリ論を読みました。この作家の人はタモリの人がとっても好きなんだなぁと思いました。途中、たけしの人やさんまの人についても一生懸命語っていましたが、結果、タモリ(が大好き)論でした。移動のお供に最適だと思います。面白かったです。
パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

米原さんのエッセイはいくつか読みましたが、全部面白いからすごいなぁとおもいます。これは東京から故郷への道中に読みました。たかだかパンツごときをすばらしく高尚で、かつ、オモシロにして語るとはさすがだ!とおもいました。幼稚園の礼拝堂で、「せんせー、あのおじちゃん(キリストの事)パンツはいてるのー?」という著者の友人の質問に、先生が「おじちゃんではありませんよ!」と答えた出来事から、磔のキリストがはいているのはパンツなのかふんどしなのかを考察。また、アダムとイヴはどうやって股間に葉っぱを貼り付けたのか実際やってみた幼少期の想い出から、アダムとイヴの股間の葉っぱの歴史を辿る。面白くないわけがありません。また、シベリア抑留中の人々の手記から、海外と日本の下着や排せつについての大いなる相違も大変面白く書かれておりますから、人々も読んだらウフフとなると思います。