「ハンナ・アーレント」

odo-mikikov2013-12-16

哲学しているご婦人が、アイヒマン裁判の傍聴レポートを発表したことで哲学していない人々や哲学している人々とケンカするお話しでした。アイヒマンナチスの役人の中の一人だけど、世界中の人々はアイヒマン自体が「ナチス」という目で見ている、ガリガリのおっさんの肩に全ナチスがのっけられた裁判でした。哲学しているご婦人、アーレントは、そういうのんは裁判なん?なんか違うんちゃう?というスタンスでレポートしたので、「おまえもユダヤ人仲間なのに、なんでそんなナチスを擁護すんだよばか!」とたくさん怒られました。アーレントナチスを擁護しているわけでは全然なく、その裁判を通して「悪」とはなにかということを書いただけでした。「おれは今悪い事しているのさ!」という考えもなく、それどころか自分がいま何をさせられようとして、これをすることによってどんな未来が待っているのかを考えようとする「人間らしい思考」を放棄することによって引き起こされる、無自覚な悪の恐怖をアーレントは(たぶん)言いたかったのですが、しかし、家族がぜんいんころされて、自分自身も生きているのがやっとだった人々から見れば、どんなにアイヒマンが痩せぎすな頼りない普通の人間に見えても、「あれは演技だ!」と懐疑的な見方になるも当然ですから、人々がアーレントに対して感じたのは「あんな有名になった仲間が裏切った!なんでそんなに冷静にレポできんだよ!」という感情でした。感情が先立ってちゃんとレポを読んでいない、レポを読んでもこ難しい内容だから解釈できないなど、こういう問題起きた時あるあるでした。あと、アーレントの長年の友人たちもこのレポをきっかけに離れていってしまったのですが、大体が男だったので笑いました。男は哲学の議論をする時でもアーレントを女として見ていますが、アーレントは議論の最中は相手をただの人間としてとらえておるので、アーレントより男たちの方がよっぽど感情に流されているのでした。アーレントの夫も、なにかにつけ「あいつは君に惚れていたからね。」というので、男あるあるもあって面白かったです。十分な議論もされずに力技で国の方針が採決される事態を、何の危機感も感じずにぼんやりしていることは、アイヒマンとなにがちがうのかと考えるなどしながら観ました。考えるだけで何もしていませんが、考える事はやめないようにしたい。知的欲求が刺激されて面白い映画ですので、人々にもご覧いただきたいのですが、人物の説明がほとんどないに等しく、わりと前半でそれを憶測できるシーンなどありますから寝ない方がいいとおもいます。