忘れそうなときはメモをとるのだよ。

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ラテンアメリカ文学は手をつけていない分野だったので、ちょっと挑戦してみました。
ラテンアメリカぶんがくにちょうせん!!です。子ども番組風に書いてみました。
それはおいといて、混乱した。誰が何で、もう死んでるのか生きているのか、誰かの空想なのか、話がどこへ飛んだのかわけがわからなくなってしまったので、途中でこれは人物名をメモしたほうがよいと気付きましてメモして読みました。このメモ作戦は著しい効果がみられ、すっかり安心して読み終えることができました。私の読解力が乏しいためにこのような現象が起こったのだと思われますが、それにしてもじつに前衛的な構成でした。当時は評価されなかったそうですがなんか分かります。
ブレシアドは母の遺言で見たこともない父親、ペドロ・パラモを探しにコマラへ旅立ちます。途中、コマラまで案内をしてくれた男は彼もまたパラモの息子で、さらにパラモはもうすでにこの世にいないと言い残し立ち去るわけです。このように前半はブレシアドが、荒れ果てて死者と生きている者が混在するコマラへ来て、彼が死ぬまでのお話。この間死者が生きているように会話に入ってきたり、いきなり別の死者の世界に行ったりするんで、これがまた頭ショートしそうになるんすわ。ただ不思議とこれが読み切っちゃうんですよ。そんなこんなで、後半はパラモが極悪非道を尽くしリーダーにのし上がるまでと、まだ美しかったコマラの情景が描かれます。金と権力と数多の女性を得て、栄華を極めたパラモは、ブレシアドの母とは別の女性との子どもを失い、本当に愛した最後の妻スサナをも失って、コマラの街の衰退と同じく命がカラカラに乾いてしまうとです。もね、読みにくいけど素晴らしい。パラモがわりぃヤツなんですよ、これまた。こいつの親父の代からいる執事とか、神父さんが出てくるんですけどね一人ひとりの心情が細やかに描かれていて、読み応えあり。パラモもわりぃんだけど、切ない人生なんですよ。悲しいけど、日本の文学とかロシア文学みたいな湿度がなくて、まさに荒れ果てた後のコマラの街みたいにカッラカラに悲しいんす。最後にブレシアドをコマラまで案内した男がまったく切ない形で再登場するのです。これにはナヌー、そうきたかー。て。ええ、やられました。ラテンアメリカぶんがくにちょうせん!!してやられたり!てへ!(舌をペロっと出すかんじをイメージしてください)