ほとけをみた。

(株)前科に勤務していた頃のことです。始業後すぐに営業部のA子さんの席にその上司がやってきました。「今日は営業業務はやんなくていいから、今からこれやって。」とメモを渡しました。A子さんは自分の業務はさておき、早速とりかかりました。わたしはその様子を横目に、いつも通りクレーム処理や終わりのない雑務に追われる一日を開始していました。残業代もボーナスもない、名ばかりの正社員が右に左に、下に上にと駆け回り2、3時間ほど経ったでしょうか。「ちょっと、なにやってんのー!?こんなことしてないで自分の仕事して!!」声のする方に視線を移すとA子さんの隣にさきほどの上司が立っていました。A子さんは「あ、はい。」とだけ言って自分の業務の準備を始めました。上司は去り際に「もー、売上あがってないんだよ!まずいんだから、そんなことしてる場合じゃないよ!しっかりして!」とぷりぷりしながら自分の席に戻って行きました。その時、わたしも含めまわりの人々は無関心を装った完全なる観客でした。120%の意識がそこに集中していました。そして皆がこう思っていました。「いや、おまえがやれゆうたんやないかい。」と。ほんの数時間前の自分の指示はまるで始めからなかったかのように、煙だったのかしらと思う程にその上司の頭からは抹消されていました。しかしわたくしたちは何も言わずに働きました。A子さん本人も何も言いませんでした。それが「世の中」だから。何度洋楽チャンネルに変えてもあの上司が出社するとJ-POPチャンネルに変わってしまう不思議な有線からは、大貧民でマジギレした男とパスタ作った女のラブソングがのんきに流れていました。そうこうして夜がきました。わたしもA子さんも残業、またの名をボランティアの為に2人でオフィスに残っていました。そろそろ終わりにしようとA子さんを見ました。A子さんもわたしを見ていました。「今朝、Bさん(件の上司)すごかったね。」わたしの問いかけに、「スがたねよ。あのしと病気だがら。病気の人にはやさスくしねとな。」とほほ笑みました。仏だ、このひとは仏様だ。暗闇の中に一筋の灯りをみとめました。まぶしくやわらかい光が彼女を包み込んでいました。そしてわたしはこの会社が倒産する直前に辞め、A子さんは倒産まで会社にいましたが、その後この仏様がどうなったか、わたしは知らない。