年間目標。

電車の中でCM映像が流れたりしますでしょう。最近、よく流れているどこかの企業のやつがすごくいやな気持ちになりますので、無表情でなんの変化もない地下鉄の壁を眺め、画面は観ないようにしています。そのCMというのが、まあよくある設定の、父と娘の不器用な関係みたいなストーリーなんですけど、お父さんはわたしのことをあんまり褒めてくれたことがない、でもあたしは微力ながら世の中の役に立っている、の流れで、最後にメールかなんかのやり取りで「無理するなよ。」的なオトンの言葉で終わり、のやつです。気持ちが悪いのです。みなさんが想像している気持ち悪いをはるかに凌ぐ気持ち悪いをわたくしは感じているのです。「お父さん、褒めてくれない。けどあたしのこと見守ってくれてる。」の設定がです。おそらくですけど、この企業の業務というのが、世間では地味で評価をされにくい内容であって、しかしとても大切なことなんですよ、っていうことを暗示したいんだと思います(思いました、わたくしは)が、そんなことはどうでもいいのです。この娘のスタンスが気色が悪いのです。なんでかなぁって考えました。そして気付きました。わたくしにそのような経験がないからです。「お父さん、褒めてくんない。」とか、「お父さん遊んでくんない。」とか、実際にそうであったとしても不満を感じませんでしたし、お父さんにそれを求めたことが全くないからです。なぜ求めることがありましょうや。お父さんとはいえ、わたくしとは別の人格です。何を期待することがありましょう。わたくしのおとんは兄やわたくしがヘマをすると、おかはんに「おまえの育て方が悪いからあんげあるとじゃ。」という人なのですが、わたくしはそのたびに、「育て方関係ねい。おれの人格はおれが作ったんじゃ、だれの人格でもねい。おれの人生はおれのもんだ。人に作られた人生でたまるもんか。」と怒りすら覚えていました。母がどういう人であろうと、父がどうであろうと、この今のわたくしの状況はわたくしが作ったのであり、打破するも、よりよくするもわたくしにしかできないのです。と、いうような「にんげん」としてなんの可愛げもない精神で形成された人格であることが原因だと気付いたのでした。毎年年始に掲げる年間目標で「やさしみをモットーにいきる」は今年度も達成されない確率が高いです。残念です。