酒とわたし。

世の中はビアガーデンだ、暑気払いだとアルコールひゃっほいの季節のようです。人間にはアルコールを飲む人とそうでない人がいます。わたくしはそうでない人です。アルコールが体に合わないので飲めないのですし、飲みたいと全く思わないので飲みません。「乾杯の時だけとりあえず注ぎナヨ。」とおっさんたちに言われることがありますが、うるせいと思います。乾杯はアルコールに限ると法律で決まっているのでしょうか、アルコールでなければ失礼にあたるのでしょうか。乾杯は挨拶であり、挨拶は「心」なのではないでしょうか、挨拶は「アルコール」なのでしょうか。わたくしは一応大人なので、TPOに合わせて乾杯ではアルコールを注ぎます(それには一切口を付けませんが)。「一口ぐらい飲みなって〜。」うるせい。とってもうるせいんだよきみたち。アルコールを飲む人々はなぜ「飲めないわけがない。」と思うのでしょうか。飲めない人はこの世に存在します。宇宙人がいるの確率よりももっと高い確率で存在します。もし飲んでわたくしが救急車で運ばれたら保障してくれるのでしょうか。その覚悟を持って言っているのでしょうか。いいえ、そんな覚悟をもった者などおりますまい。肝臓が元から弱いうえに、幼少期からアルコールで嫌な思いしかしていないので、自分が飲むという行動をしたくありません。本当にしたくないのです。無理に飲ませないでください。たぶん発狂します。発狂したらどうにかしてくれましょうか。そんな気の利いたおっさんがこの世におりましょうか。気の利いたおっさんなど存在しません。なぜなら気の利いたおっさんがいる環境にわたくしがいないからです。わたくしはこれまで人々に「飲むな!!!」と強制したことはありませんし、飲むこと自体を否定的にとらえておりません。楽しく愉快に飲んだらよろしいですし、いい感じに悲しみにひたるのもよいでしょう。酒とはそういう人間のこころを許容してくれる魔法の飲み物です。そう思っております。なのになぜ人々はわたくしに要求するのでしょうか。わたくしは飲まなくったって、いえ、むしろ飲まないからこそ楽しく飲み会に参加できるのです。会社の主要な飲み会には参加しますが、それ以外の飲み会はほとんど断っています。飲まない人がいると、どうやら飲めるおっさんたちは興ざめするらしいからです。素面でも楽しくわいわいしておっても、「酒を飲まない」という行動だけで興ざめのようです。飲めないの人が一人いるだけで飲み会がつまらなくなるのは申し訳ないです。「慣れだから飲んでみなよ。」はもう何百回も聞きました。「飲めないのは人生損してる。」もTOP3に入ります。大丈夫です。酒が飲めないからではなく元から人生で得していません。酒でわたくしを追い込まないでください。そんなことをしてくるおっさんのことは下に見ます。勝手ですがこころのなかで、高い頂から仁王立ちで下に見てやることにしています。わたくしにできることといったらそんなことぐらいしかないのです。アルコールが飲めない人間にもやさしい世の中を願って止みません。