方言。

先日、京都で勉学に励んでいるしゃく子さんから「クラスに山口県出身の人がおり、その人が山口弁でしゃべる。」という情報を得まして、わたくしは方言について考えました。新たに暮らし始めた土地で方言をしゃべる、とはどういうことだろうか、と。わたくしは自身が大学進学の為に上京した時のことを思い起こしてみました。方言で会話をすることはありませんでした。なぜなら正しく意思疎通ができないからです。大学には様々な地方から来ている人間がわんさとおりましたが、わたくしが親しくしていた人々は誰一人として方言の人はおりませんでした。人々は「標準語」という共通の言語を使うことができますから、それを使うことによってまったくスムーズに会話ができます。なのになぜ、その山口県民の方は頑なに山口弁なのか。愛郷心がとても強い方なのだろうか。たしかに、時と場合によっては方言の方が感情を出しやすいことがありますから、思わず口走る、ということはあります。こころを伝えたくてしかたがない人なのかもしれません。わたくしの大学には関西出身の人もおりましたが、同じく標準語で会話をしておりました。いかなるところであろうとも関西人は関西弁をしゃべる、ときいておりましたがそれはガセであると知りましたので、大変勉強になりました。やはり情報は鵜呑みにせず、真実を見極めることが大事なのです。関西弁は市民権を得た方言、KING of 方言です。大抵の人に通じる方言だと思います。しかし、わたくしの郷里の方言はまったく無名ですから、しゃべったとて通じることはありませんでしょう。会話とは「伝えて」こその会話であると思うのですがどうでしょうか。「言葉は伝わらなくても、そこに音楽さえあれば!」の精神なのでしょうか。ミュージシャンみたいだ。とにかくそこの真意はわかりませんが、その是非どうこうではなく、「なんかすごい。」と思ったのでした。わたくしは人間関係はできるかぎりスムーズにを最優先に考える人間なので、このようなことはできないであろうと思います。意思の疎通が充分でないと、そこには諍いが生まれます。平和がいちばんです。わたくしがここで一番伝えたかったことは、せんそうはきらいだ、ということです。宜しくお願いします。