やさしさ。

インターネットを始めて「ネカマ」という存在を知りました。ネットのオカマ、で、ネカマ、だそうです。本当はオスなのにインターネットする時だけメスになって活動をする人々のことです。毎日違う人を演じているようで俳優さんみたいです。またその逆でメスがオスのふりをしてネットするのは「ネナベ」というのだそうです。私は普段から裏表がたくさんある人間なので、もう別の性別まではいらないなぁって思います。だるいです。ネット上のわたしはちょっと本当が混ざっておると思いますが、それは嘘かもしれませんし、もしかしたら全部本当かもしれません。本当なんてないのかもしれません。自分でもわけがわからなくなっています。こんにちは。ネットでオスになるのは楽しいのかしらと考えたこともありますが、毎月毎月「おまえはメスだ。」というやつがくるので、「ああ、やっぱおれはメスかいな。」とならざるを得ません。かといってメスがいやなのかと言いますと、メスで良かったわいと思っています。「あのおババ、メスやししゃーないな。」と、そこにはバカにされている感が大いに含まれますがちょっとしたことは許してもらえます。ウーマンリブの人々は「許すまじ!」となるのかもしれませんがわたしは別にいいです。わたしの方も「男はどれもおんなじ。」とちょっとバカにしているのでおあいこです。オスの人々は日々責任と男らしさを要求されるという大荷物抱えて大変そうですが、不肖ミキコフもいつもメスの日にはそれなりに戦っていることがあるのです。その期間は普段はない頭痛ととんでもない肩こり、加えておそろしく気分が下がるので「ハレのお薬飲もうかしら。」となります。しかしお薬飲もうかしらからお薬がないと生きられないになるのが怖いのでハレのお薬飲みません。石橋は叩く以前にむしろ渡らないにんげんなのです。渡らなかった橋がたくさんあります。わたしが渡らなくても誰かが渡ってくれたでしょうから橋にとってはよかったんじゃないかとおもいます。今、橋のことはどうでもいいです。お薬怖い、です。お薬飲むのは容易く、止むること難し。飲む飲まないで私は月のうち一週間は戦っています。世の中の女のひとは皆このようにしていろんなことと毎月毎日たたかっているのですから、おとこたち(ネカマの人々も含む)はおんなの多少の面倒くささは許してやりなさい。しかしさすがに頭が痛いのは経済活動に支障をきたすのでバファリンは飲みます。経済活動をやめたらお給金がもらえませんから大変困ります。おきゅうきんください。そんなことよりバファリンは粒がでかすぎやしないか。飲みにくいてしょうがねえが。バファリンちゅうのはやさしさでできちょるんじゃろ、どこが優しさね。全然やさしいことねえが。いや、飲みすぎてえらいことにならんようにデカくしてるんかもしれんよ。わたしはいろんなやさしさにささえられている。恐縮です。というおはなしでした。今日も生き太。明日も生き代。