ぱんをふんだむすめ。

わたくしの通っていた小学校では、給食の時間に「おはなしでてこい」が放送されていました。国内外の昔話や童話などの朗読劇です。数多くの物語が物語られましたが、その中でもアンデルセンの「パンを踏んだ娘」という話が非常に印象的であり、今でも思い出します。ご存知の方もあろうかと思いますが、あらすじは次のようなものです。インゲルという、エンゲル係数だかインテル入ってるだかみたいな名前の、貧乏で傲慢ちきで見栄っ張りな娘が、奉公先の主人に、「両親に会いたかろうから、お土産にこのパンを持って里帰りしてきなさい。」と言われます。インゲルはなんせ傲慢ちきな設定ですから、貧乏でみすぼらしい両親を嫌っており、不本意ながら帰ることになります。途中、道の真ん中にできた大きな水たまりを渡らなければならず、ええおべべやズックが汚れるのを回避するためお土産のパンを水たまりに投げ入れ、それを踏んづけて渡るのです。しかし踏んづけた途端にその泥水に吸い込まれ、泥水の中でゲス人間を集めるあやしい老婆のコレクションにされる。というお話です。給食の時間だというに、ずいぶん湿度の高いお話です。まるで昼ドラを観ながらひるめしを食べる主婦のようだ。小学生だったわたくしは、給食をほうばりながら「ナヌー!」となりました。パンではなく、もっといいものを持たせろよ。そしてパンを水たまりに投げ込んだらパンが水分を吸って、結果靴ビッチョビチョだ。100歩譲ってパンの上を歩いて水を回避できるとしたら、パン程度のサイズでなんとかなる水たまりなのだから回り道などの選択肢があったのではないか。つまりこのインテル、もとい、インゲルは無知だったのです。傲慢ちきであるからだけではなく、無知だったばっかりにゲス集めババアにとらわれてしまったのです。さらにこの話には続きがあり、地上の人々は、「インゲルはそうなって当然の人間だったのだ。」と噂をしていたのですから、まったくおそろしくなりました。インゲルはこんな人間どもが暮らす世界で誰のことも信用せず傲慢ちきに育ったのだ。無知で傲慢ちきなインゲルを作り出したのはこういう大人たちだ。なんだったらインゲルはだれよりも純粋なにんげんだったのではなかろうか!なんてこったい!小学生のミキコフはミルメークをすすりながら心の中で憤慨しました。しかし、ただ一人、インゲルのことをかわいそうだと嘆いた少女の祈りのお蔭でインゲルは鳥となって解放されたのでした。めでたしめでたし。って、全然めでたくねい。インゲルはしぬことでしかその罪を贖うことができなかったし、インゲルが沼に吸い込まれて当然なにんげんだとゆった人々は、インゲルよりゲスなにんげんではないのか。親の事を「嫌だなぁ。」と思う話なんてよく聞くはなしだろうがよ。インゲルはそんなに悪いやつだったのか。世の中はインゲルなんかよりうんと悪い輩が随分いい思いをして暮らしているよ。わたしはその後しばらく、給食でパンを食べるたびにインゲルのことを思い出した。「インゲルはあんなに罰せられる必要があったのか、だとしたらわたしもインゲルとおなじにんげんだ。給食のコッペパンはうまい。」と。わたしにとって給食のパンはインゲルの味なのだった。(違います)