無我。

人間はどこでかわるのか。幼少期のわたくしはよく走り回り、山や崖をよじ登り、大きなねむの木にまたがって「キャッホ〜イ!」というて遊んでいました。ねむの花はたいへん良い香りがしますが、虫もようけ付くのでまったく気難しい樹木です。土だんごを究極の丸さに仕上げテカらせる、野生のよもぎをちぎってかじる、蓮華の花で首飾りを作って腐らす、など絵に描いたような中産階級の田舎の子でした。それがいつからか、そのアクティブさは鳴りを潜め、心身ともに動きの少ない少女に成長し今に至ります。一年ほど前から書道を始めましたが、書道を始めたらさらに心が大人しくなってきたように感じます。墨には鎮静効果のある香りが含まれているそうですが、そのせいでしょうか。iPodで起承転結のない音楽を聴きながら書をかいておりますと、まったく無の状態になります。無我の境地です。竹脇無我です。これは大変危険な行為なのかもしれません。座禅を組み飛び跳ねるルンペンみたいなおっさんを慕って集った人々が、ラグビーのヘッドギアみたいなのをかぶっていたのと似ているのではないか。人々はルンペンおじさんに洗脳されましたが、わたしはわたしに洗脳されるのだ!セルフマインドコントロールです。これを極めて本を出します。こういうのにすぐ感化される人間がネットの世界にはごまんといますから、これはいい市場になります。そういう空っぽのにんげんたちから金を巻き上げてやります。嘘です。商売は面倒なのでやりません。こうなったらどこまで無になれるか、ミキコフの限界にちょうせんだ!いずれ出家して本を出します。(しません)