アンクルジャム。

先日、置かれたり咲いたりの人のTV showを観て、ジャムおじさんのことを考えました。ジャムは聖人君子のようだ。カバやうさぎたちはもちろん、突然やってきた頭部が食い物の旅人にも、時として宿敵であるはずのバイキンマン一派にも優しい。そしてどんなピンチも「あきらめない。」の一点張りで乗り切るのである。じじいの頑固が世界を救う。なんだったらアンパンよりジャムの方がすごいではないか。人々は皆、「ジャムおじさんジャムおじさん!」と慕い、ジャムも「うむ、うむ。パンをお食べ。」と施す。観音さんであろうか。いやちがう、じじいだ。「おじさん」と呼ばれてはいるが、おじいさんなのではないか。ジャムはパンを作ってはいるが、経済活動らしきことをしていない。家族はあるのか。ジャムはみんなの心のよりどころであるが、ジャムが疲れたときは誰がジャムの椅子となるのか。ジャムの“椅子”はあるのか。ジャムは多くの好意に囲まれながらも孤独なのではないか。みんなジャムに甘え過ぎだ!うおー!気づいた時には、わたしはウィキペディアを開いていました。
「人間に近い容姿だが、やなせたかしによると他のキャラクター同様、人では無く妖精に近い存在という設定である。」
ジャムは人間ではありませんでした。しかし、「妖精に近い」ということは完全に妖精ではないということである。ジャムは不安定な存在でした。人間でなければ誰の支えがなくとも生きていけるというのか。そんなはずはない。とんだご都合主義だ!いや、違う。間違えました。虚構の世界だからご都合主義でもいいのだった。そもそもジャムのことなどどうでもよかった。